研究現況
復元および補修技法の研究
伝統建築研究によって集積された様式・技法に関する資料を活用し、建築文化遺産の補修・復元のための様式考証・復元設計などを支援するための事業である。
主な事業に、洗然亭址の復元設計、3Dスキャンデータを利用した弥勒寺址石塔の復元設計などがある。また皇龍寺、彌勒寺、定林寺といった古代建築の復元研究、遺跡保存整備技法の研究なども進めている。
弥勒寺址石塔補修整備事業
弥勒寺址石塔
益山・弥勒寺址石塔はコンクリートが老朽化し、構造の安全性に問題があるという1998年の構造安全診断結果を受け、1999年には解体・補修が決定された。その後、文化遺産委員会は全羅北道と代行事業協約を締結し、2001年10月から石塔の解体調査および補修整備を行っている。解体前には石塔に関する具体的な資料がなかったが 解体調査過程における詳細な資料が蓄積され始め、建築・考古学・美術史・保存科学など様々な分野において多様な学術調査を行うと同時に、石造文化遺産修理技術関連の研究が進められている。現在、弥勒寺址石塔は、解体および発掘調査がすべて完了した状態であり、本来の部材を最大限利用するための科学的保存処理および本格的な補修整備工事が進められている。
概要
彌勒寺は、百済・武王代(在位600~641)の創建であり、その内容は『三国遺事』に記されている。武王は、王妃と共に龍華山の師子寺を訪れる途中、弥勒三尊に出会った。知命法師が武王を助け、一夜にして池を埋め、三つの金堂と三つの塔からなる広大な伽藍を築き上げた。弥勒寺址石塔は、2009年1月に出土された舎利荘厳により639年に建てられたことが明らかになった。1400余年が過ぎた今もなお、金堂や塔としては唯一、本来の姿に近い形で残されている。
石塔は、本来九重だったと推定されているが、17世紀以前に塔の半分が崩壊し、崩壊部分は1915年に日本人によりコンクリートで覆われ、最近までそのまま残されていた。石塔としては韓国で最大規模、最古の様式のものと考えられ、第1層の内部にある十字形の通路や心柱、天井の構造などは、古代石塔の特徴をよく表している。
1998年の構造安全の診断結果を受け、文化遺産委員会では長期保存を目的とする石塔の解体補修を決定した。全羅北道で石塔解体のための仮説屋根が設置され、2001年10月以後は国立文化財研究所が代行で解体補修を実施している。2010年に解体および発掘調査が完了しており、現在、保存処理および工事が行われている。
解体工事
弥勒寺址石塔の補修整備過程
1998年の構造安全診断結果を受け、文化遺産委員会は長期保存を目的とする石塔の解体補修を決定した。
全羅北道によって解体用の仮設屋根が設けられ、2001年10月以降は国立文化財研究所が代行し、石塔補強に使われたコンクリートおよび塔部材の解体調査を進めている。
1915年に日本人により石塔に覆われた補強コンクリートを宮大工が除去し、部材と分離した。2004年まで解体されたコンクリートの量は185トンほどになる。
宮大工が石塔部材をベルトでしっかり固定し、ホイスト(10トン規格)を使って解体した。部材の安全な解体と運搬には、多くの経験と熟練した技術が必要となる。
築石を解体することによって、見えていなかった第1層の塔身および基壇部が現れた。とくに、南西側の築石を解体する過程で新しく発見された石人像は全体がほぼ無傷の状態であった。石人像は築石を積む前に造られたものと推定される。
石塔は第1層および基壇部が傾いて位置がずれており、今後、安全な補修整備のためには解体せざるを得ない。2009年1月には十字形通路内の心礎を解体する過程で、百済・武王の時代に安置された舎利壷など舎利荘厳遺物が発見された。
実測調査
弥勒寺址石塔の補修整備過程
解体の前に、部材の配置や形態をデジタル測定器で精密調査、記録している。部材の配置は、基準点(Benchmark)を用いた3次元(X、Y、Z)計測を行い、解体後にも各部材の本来の位置が分かるようにしている。また補修整備後にも部材の配置を測定し、解体前後の状態が確認できるようにする。
部材の実測調査は、形状やサイズ、製作技法などを把握するため、原寸図面や写真、3次元データで記録する。これらは補修整備計画を樹立するための資料として用いられる。
解体過程に伴う平面形態と部材の形態は、3Dスキャニングによる3次元情報として記録される。このデータは、補修整備のためのコンピューターシミュレーションなどにより、石塔の構造解析と崩壊原因などを学術的に考察するための基礎資料として活用される。
部材および現況の3Dスキャニング
発掘調査
弥勒寺址石塔の基壇部に対する発掘調査は、石塔の軸基部の造成技法を明らかにし、構造の状態を確認することにより、石塔を補修・整備する際に参考にすることを目的に実施された。これにより、弥勒寺の創建時の建物跡を含め、広く造成された敷地の盛土層、塔址を造成するために掘り返した部分(堀壙線)および敷き均した層など、軸基部の構造と状態を確認した。堀壙線の内側は、砂質土または砂質粘土に割石を混ぜた土石混築になっており、礎石の下部には東塔址と同様、礎盤石をすべて設置したことが分かっている。また、礎盤石の途中から上面までは、割石が混ざっていない別な砂質粘土によって版築を作り、心礎石の下部および十字型空間の床石下部の土層も、ほぼ同様であることが確認された。さらに、木の棒で均した痕跡もはっきり残っている。割石の混ざっていない砂質粘土版築層は、基壇の内部において全体的に同一の層を形成しているが、これは礎石の高さまで内部に積心石を設置し、割石および均し跡などにより凸凹になる土石混築層の上面の高さを水平にするためのものと推定される。
今回の発掘調査により、西塔の軸基部の構造および築造方法などが解明され、西塔の築造のための塔址の造成方法と順序が明らかになったことは、重要な成果といえよう。一方、内部の十字型空間の南側の床石を解体する過程で、鎮壇具と推定される様々な遺物が出土した。これらの遺物は、床石の下部の土層から散発的に出土した。土製螺髪や銅串をはじめとし、金銅製・ガラス製・鉄製など様々な種類の遺物が発掘されたが、螺髪と銅串を除くほとんどは、破片の状態で発掘されている。以前、弥勒寺址発掘調査の時に出土した遺物と類似した様式のものと推定される。
保存処理
弥勒寺址石塔の補修整備過程
石塔を構成する岩石の特性、採石産地、侵害生物とその除去試験、汚染物の評価とその除去試験、保存環境などに関する調査研究を行った結果に基づき、保存処理の計画および今後の保存管理の方法を樹立した。
損傷を受けた部材の保存処理のプロセスは洗浄→接着→補形→強化→撥水→色補正となっている。汚染物はその種類と程度により、本来の表面への損傷を最小限に抑え、湿式または乾式の方法により取り除く。
破損した部材は耐久性を向上させるため、石材の状態および再使用の部分によって、ステンレス、チタン、銅、樹脂モルタルのピンニングを用いる。破損した部分はエポキシ樹脂で接着し、亀裂の部分にはエポキシ樹脂を注入する。
無機質材料をもって表面処理を行い、アクリル絵具で色を合わせる。石材の風化状況によって撥水剤は表面に1~3回噴霧する。
形を補う必要のある部材は破損した形に合わせ、新しい石材を加工し、接着させる。加工した石材の表面は、様々な道具を用いて風化した表面と類似した状態になるよう加工して質感を合わせる。
舎利荘厳具収拾調査
弥勒寺址石塔の補修整備過程
石塔を解体する過程で、第1層の心礎の中央に四角い舎利孔(一辺25cm、深さ27cm)の中から舎利壷など19種684点の国宝レベルの遺物が発見された。出土遺物として、舎利壷は外壷、内壷、硝子瓶の3重の構造となっており、金製舎利奉迎記には「己亥年」(639年)と刻まれていて、石塔建立の時期が明らかになった。今回の発見は、百済地域最大の考古学的成果の一つという評価を得ており、関連遺物の絶対編年を提供するなど、百済文化研究の新しい地平を拓くと期待される。
推進経過
期間 | 内容 |
---|---|
1997年12月 ~1998年12月 |
石塔の構造安全診断、文化遺産委員会の審議後、解体補修が決定 |
2000年1月 ~2001年10月 |
仮設工事及び石塔の解体準備、事業団構成、石塔に木の足場設置 |
2001年10月31日 | 代行事業協約の締結、告由祭の実施 |
2001年11月 | 石塔及び周辺の気象環境調査の開始(継続) |
2002年1月 ~2002年12月 |
- 石塔第6層~第3層の解体調査
- 足場工事及び事務棟施設の補完工事 - 弥勒寺址石塔補修整備のための諮問委員会構成 |
2003年1月 ~2003年12月 |
石塔の構造安全診断、文化遺産委員会の審議後、解体補修が決定 |
1997年12月 ~1998年12月 |
- 石塔第2層の解体調査
- 『解体調査報告書Ⅰ』発行 - 野外の部材積載場施設工事 - 海外における石造文化遺産の補修整備現場調査(カンボジア・アンコールワット) - 石塔の岩石の特徴と石材供給地に関する調査研究 - 弥勒寺址石塔への生物侵害状況及び保存処理剤の調査研究 |
2004年1月 ~2004年12月 |
- 石塔の第1層の精密調査 -『解体調査報告書Ⅱ』刊行 - 石塔コンクリート解体完了(185トン) - 弥勒寺址石塔の解体調査報告会の開催 - 海外の石造文化遺産の補修整備現場の調査 (インドネシア・ボロブ ドール) - 石塔コンクリートの成分及び強度調査 - 2005年1月~2005年12月 石塔部材の表面汚染物についての 調査研究 - 石塔の部材加工度についての調査研究 |
2004年12月16日 |
- 石塔の第1層の解体調査
- 『解体調査報告書Ⅲ』発行 - 弥勒寺址石塔コンクリートの成分及び強度調査 - 仮設屋根の踏み台撤去工事 - 構造解析による弥勒寺址石塔の崩壊原因調査研究 - 海外における石造文化遺産の補修整備現場調査(ギリシャ、イタリア) - 弥勒寺址石塔の解体及び復元に関するシンポジウム開催 |
2004年12月16日 |
- 石塔の第1層の精密調査
-『解体調査報告書Ⅱ』刊行 - 石塔コンクリート解体完了(185トン) - 弥勒寺址石塔の解体調査報告会の開催 - 海外の石造文化遺産の補修整備現場の調査(インドネシア・ボロブド ール) - 石塔コンクリートの成分及び強度調査 - 2005年1月~2005年12月 石塔部材の表面汚染物についての調査研究 - 石塔の部材加工度についての調査研究 |
2006年1月 ~2006年12月 |
- 石塔の第1層及び石築の解体調査
- 石塔部材の物理化学的風化度についての調査研究 |
2007年1月 ~2007年12月 |
- 石塔の第1層及び石築の解体調査
- 風化した部材の補強措置のための調査研究 - 弥勒寺址石塔の構造安定性評価研究の実行 |
2008年1月 ~2008年12月 |
- 石築の解体完了、石塔の第1層の解体調査
- 弥勒寺址石塔の構造安定性評価研究完了 - 石塔から収集された遺物の成分分析のための調査研究 - 石人像の発掘及び調査 - 弥勒寺址付近の搬出部材状況に関する調査 - 現場公開説明会の開催 - 弥勒寺址石塔の補修整備のための基礎設計及び模型製作 - 弥勒寺址石塔の破損部材の保存処理 |
2009年1月 ~2009年12月 |
- 舎利荘厳の収集調査(舎利壺など19種684点)
- 舎利荘厳についての記者説明会の開催 - 石塔の第1層及び基壇部の解体調査 - 補強処理に使う部材の構造性能調査研究 - 毀損した部材の補強及び保存処理 - 舎利荘厳特別展の開催 - 石塔の第1層部分の変位測定などの精密調査 - 弥勒寺址石塔の構造補強案のためのワークショップ開催 - 基壇部の発掘調査 |
2010年1月 ~2010年12月 |
- 舎利荘厳の収集調査(舎利壺など19種684点)
- 舎利荘厳についての記者説明会の開催 - 石塔の第1層及び基壇部の解体調査 - 補強処理に使う部材の構造性能調査研究 - 毀損した部材の補強及び保存処理 - 舎利荘厳特別展の開催 - 石塔の第1層部分の変位測定などの精密調査 - 弥勒寺址石塔の構造補強案のためのワークショップ開催 - 基壇部の発掘調査 |
2010年1月 ~2010年12月 |
- 石塔の第1層の礎石の解体調査
- 石塔基壇部の発掘調査 - 石塔復元のための基本設計 - 部材の実測調査、毀損した部材の保存処理などを行う - 弥勒寺址石塔の『解体調査報告書Ⅳ』の発行 - 百済仏教文化の宝庫、弥勒寺「国際学術シンポジウム」開催 |
2011年1月 ~2011年12月 |
- 弥勒寺址の石塔補修整備のための計画・設計
- 3次元データを活かした石塔精密模型の製作 - 石塔の築基部と土層の補強のための実験・研究 - 舎利荘厳などの出土遺物の実測調査 - 石塔及び石築の解体部材の実測調査 - 基壇及び第1層の毀損した部材の保存処理 - 弥勒寺址石塔の補修整備のための国際フォーラム開催 - 弥勒寺址石塔周辺に住む住民向けの公開説明会開催 - 弥勒寺址石塔の『解体調査報告書Ⅳ』の発行 |
2013年1月 ~2011年12月 |
- 弥勒寺址石塔補修整備工事および常駐監理に着手
- 石塔の損傷部材(1階~2階)に対する保存処理 - 石塔の基礎土層に対する補強方案の実験研究 - 石造文化遺産の補修技術を特許出願 - 舎利荘厳特別展を共同開催、図録を発行 - フェンスの交換工事など施設のメンテナンスを多数実施 |
弥勒寺復元整備研究
益山弥勒寺址(史跡)は、1974年に東塔址を調査して以来、約17年にわたる発掘調査を通じて、百済最大の寺院であったことが明らかになった。さらに、三つの塔と三軒の金堂が回廊として区切られ、それぞれ中院・東院・西院の区域が形成された、独特な伽藍配置になっていることが分かった。弥勒寺復元整備研究は、老朽化した弥勒寺址の整備計画の樹立および復元考証研究を通じて、弥勒寺の歴史文化環境を造成するとともに、古都の保存および世界遺産への登録推進などを、その目標に掲げている。
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研究目的
- 体系的な復元・整備のための主要建物跡の復元考証研究弥勒寺址の遺構の特性および周辺環境を考慮した整備計画を樹立
- 体系的な復元・整備のための主要建物跡の復元考証研究
- 弥勒寺歴史文化環境の造成および地元との連携による活性化方案を研究
主な推進経過(2013年)
- 弥勒寺址における遺構の現状分析および整備方案に関する基礎研究
- 弥勒寺址の排水システムおよび周辺水路の分析・調査
- 案内板、観覧の順路など観覧環境を改善するための研究
主な推進計画(2014年)
- 主な遺構別整備範囲および方法を設定
- 遺構の整備技術および材料の研究
- 遺構の保護施設および公共施設物を改善するための基本計画
- 復元考証の基本研究(配置と境界、基壇、石積)
慶州石塔補修整備事業
感恩寺址東三重石塔
感恩寺址の東西三重石塔、仏国寺多宝塔・三重石塔は、2001年度の精密安全診断結果を受け、文化遺産委員会において補修が決定された。そのため2003年から2010年8月まで、国立文化財研究所慶州石塔補修整備事業団において、補修・保存処理作業が行われた
慶州仏国寺三重石塔は、2010年12月、北東の上層基壇の甲石に亀裂が生じ、慶州石造文化財補修整備事業団が補修を行っている。
概要
感恩寺 History of Gameunsa temple
感恩寺は三国統一の偉業を成し遂げた新羅・文武(ムンム)王の時に造営が始まり、神文(シンムン)王2年(982年)に完工した。金銅前の東西に三重石塔(国宝)が建っている。1959〜1960年の第1次発掘調査と1979〜1982年の第2次発掘調査の結果、双塔式伽藍配置だったことが明らかになった。しかし、寺跡内にある東西の三重石塔以外では、統一新羅時代の栄光に満ちた姿を伝えるものは見つかっていない。感恩寺址の東西三重石塔は、ほぼ同じ規模で建てられており、二層の基壇と3層の答身などの構成から、統一新羅時代の石塔の始原となる様式を窺うことができる。石塔の全高は東塔が13.3m、西塔が13.9mと、慶州における三重石塔の最大のものであり、韓国の仏教美術を代表する文化遺産という意味を持つ。
西三重石塔は1959~1960年に、東三重石塔は1995~1996年に、全体を解体し、修理を行った。その後、西三重石塔の第3層部に構造的問題が露呈したので、一部を解体・復元し、部材の保存処理を行った。東三重石塔は現状調査を行い、塔区の復元と部材の保存処理を行った。
仏国寺 History of Bulguksa temple
慶州・吐含山に位置する仏国寺は、新羅・景徳(キョンドク)王10年(751)に着工し、恵恭(ヒェゴン)王10年(774)に完成した。ところが、朝鮮・宣祖(ソンジョ)26年(1593)に日本の侵略によりほとんどの建物が焼失した。その後、1969年から1973年までの発掘調査と復元により、極楽殿、紫霞門など現在のような状態となった。境内には統一新羅時代の多宝塔と釈迦塔と呼ばれる3重石塔、紫霞門へ上る青雲・白雲橋、極楽殿へと上る蓮華・七宝橋があり、国宝に指定・保存されている。このような文化遺産からは、新羅時代の技術を窺うことができる。また、毘盧殿の金銅毘盧遮那仏坐像と極楽殿の金銅阿弥陀如来坐像など、多数の文化遺産も成熟していった当時の仏教文化を今日に伝えている。そのような価値が認められ、1995年12月、石窟庵とともに世界文化遺産に登録された。仏国寺の配置は、過去・現在・未来の仏陀の住む浄土、つまり理想郷を具現しようとした新羅の人々の世界観を体現している。『三国遺事』によると、金大成(キム・デソン)が前世の両親のために仏国寺を建立したと記されている。完成を見ずして彼が死んだ後は、国家事業として国が受け継ぎ、護国寺とした。
事前調査・現状記録
石塔の事前調査および現状記録
1.部材の技法調査
石塔造営当時の技法や、現在残っている部材の大きさと位置などを調査した。測定資料は図面化し、復元の基礎資料として活用した。
2.3次元形状記録
補修整備前に石塔の保存管理のための基礎資料および記録確保のため、3次元スキャンを実施した。3次元スキャンにより石塔の実測、図面、構造解析用3次元料、動画などの現状資料を蓄積し、シミュレーションを通じて人為的・自然的損傷状態を表現することができる
3. 風化損傷度調査
風化や損壊の程度や、今後の保存処理計画を樹立するため、現場と実験室による調査データから風化図面の作成が進められている。風化図面は、表面の風化や汚染、生物被害、補修物質などに分類され、これらをさらに細分化した分類群が定めれらた。写真図面や3D図面を用い、分類群の境界面を区分する精度を高めている。特に表面の汚染や生物被害はSEM/EDX、イオン分析などを追加で行い、表面汚染物除去の基礎資料として活用している。
補修・復元整備方法の研究
1. 漏水防止研究
感恩寺址東西三重石塔の屋蓋石は、接合部からの漏水により、内部石積みの流出や石塔表面の損壊・風化が進行している。また多宝塔では、4隅の欄干部にある排水施設において、風化・異質物の堆積によって接合部の漏水減少が起こっている。排水施設の機能や接合部の漏水原因、これに伴う石材の損壊度を考察し、漏水の防止と防水対策を研究し、解体・修理の方法を決めた。
2. 継ぎ手の復元研究
継ぎ手は部材と部材を連結、固定するもので、構造的に非常に重要である。感恩寺址西三重石塔の補修過程で欠失した継ぎ手の復元が予定されている。復元のために継ぎ手をはめ込む穴を調査し、継ぎ手の成分・大きさを分析してモデルを作り、工学実験を行っている。また、継ぎ手の結構方法に関する研究も行い、補修整備に反映した。
3. 補修方案の研究・修正
感恩寺址の東西の三重石塔における屋蓋の繋ぎ部分から水が漏れ、内部に詰められていた石の流出、石塔表面の損傷、風化などの問題が生じている。また、多宝塔の4角の欄干部分には排水設備が設けられているが、風化や異物の堆積により繋ぎ部分に水漏れが発生した。排水設備の機能と繋ぎ部分の水漏れの原因、それによる石材の損傷の状況を考察し、水漏れ防止の方法と防水対策を研究した上で、解体修理の方法を決めた。
4. 保存処理剤の選定に関する研究
風化が進んだ部材には、耐久性を高める強化剤、破損や離隔した部材を接着する接着剤、剥離部位に充填する充填剤など、様々な処理剤が用いられる。こうした処理剤は、岩石の種類や風化の程度などによって材料・効果が異なるため、各塔に対する疑似実験をもとに、より効果的な保存処理剤を選定するための研究を進めた。
5. 新石製作の石材研究
部材の科学的分析資料や、復元時における代替石材の選択に関する資料を提供するため、全岩帯磁率の測定、ガンマスペクトロメーター分析などを行い、感恩寺址三重石塔の岩種を決定した。その結果を受け、採石可能地域を把握し、感恩寺址東西三重石塔の復元に使用する岩石を採石した。
文化遺産の保存処理
石造文化遺産の保存処理
1. 表面汚染物の除去
感恩寺址東西三重石塔の屋蓋石は、接合部からの漏水により、内部石積みの流出や石塔表面の損壊・風化が進行している。また多宝塔では、4隅の欄干部にある排水施設において、風化・異質物の堆積によって接合部の漏水減少が起こっている。排水施設の機能や接合部の漏水原因、これに伴う石材の損壊度を考察し、漏水防止の方法と防水対策を研究し、解体修理の方法を定めた。
2. 応急保存処理
感恩寺址西三重石塔の補修・整備過程において、感恩寺址東三重石塔の上層基壇・第二層塔身の脱落の危険がある部位と、仏国寺三重石塔宝輪の破損・分離部位に対し、応急保存処理を行った。
3. 処理記録の作成
対象となる文化遺産・個別部材の現況と処理の過程を詳細に記録し、同じ処理の誤差範囲を調整するとともに、処理マニュアルの基本資料として活用する。また今後のモニタリング作業において、提示が可能な記録を検討し、その便宜性を図る。
4. 気象観測
感恩寺址と仏国寺の大気環境に対する基礎資料の蓄積・分析が目的。感恩寺址には2004年、仏国寺の境内には2006年に自動気象観測器を設置し、観測を続けている。さらに仏国寺では、釈迦塔周辺に風向・風速計、多宝塔内部に温度・湿度計を設置し、ミクロ環境の偏差を観測している。
安全点検およびモニタリング
石塔構造の安全点検およびモニタリング
1. 安全点検
石塔の変位・亀裂、離隔、部材の損壊の進行を判断するため、光波測距機と亀裂測定機を利用し、定期的に安全点検を行っている。異常な徴候があった際、迅速な措置が可能となり、危険を未然に防止できる。
2. 常時計測システム測定
仏国寺三重石塔の内部石の空洞化により、下層基壇にねじれと離隔が発生した。常時計測システムによって石塔を常時モニタリングし、正確な補修時期を判断する重要な資料として活用する予定である。
3. 部材中心軸の分析による構造の解析研究
部材の中心軸を分析し、動かされた部材の把握および原因調査、構造の変形からくる破損、離隔といった問題を解消する。また石塔の3次元構造解析により、塔が動く際に予想される破損、変形・離隔などの発生原因を根本的に把握し、解体・復元時における塔身石の補強案を講じる。
経過および計画
推進経過
期間 | 内容 |
---|---|
2003年03月 | 慶州市/国立文化財研究所の代行事業協約 |
2003年04月 | 慶州石塔補修整備のための事業団構成 |
2003年12月10日 | 第1回諮問会議 |
2004年01月~現在 | 感恩寺址の東・西重石塔の科学的保存のための自動気象観測器の運営 |
2004年06月15日 | 第2次諮問会議開催 |
2004年07月09日 | 第1次小委員会 |
2004年07月~11月 | 感恩寺址西三重石塔の3Dスキャン |
2004年08月~2005年03月 | 感恩寺址西三重石塔の毀損現況図の作成 |
2004年09月09日 | 第1次文化遺産小委員会開催 |
2004年09月 | 仏国寺三重石塔の補修方法及び範囲決定 |
2004年12月 | 第3次諮問会議 |
2005年01月 |
-重要石造文化遺産保存管理対策に関する報告
-慶州石塔補修整備事業関連の説明会 |
2005年02月~04月 | 臨時強化処理剤についての研究 |
2005年03月 | 仏国寺内の自動気象観測器設置に伴う小気象観測実施 |
2005年03月09日 | 臨時強化処理剤の実験についての諮問実施 |
2005年05月16日 | 仏国寺三重石塔に設置される常時計測システムについての第1次諮問会議 |
2005年06月~10月 | 感恩寺址西三重石塔の汚染物質調査及び洗浄方法研究 |
2005年06月 | 感恩寺址東三重石塔の緊急補修 |
2005年07月07日 | 感恩寺址三重石塔の強化処理剤及び身石製作用の石材研究用役に着手 |
2005年07月20日 | 仏国寺三重石塔に設置される常時計測システムについての第2次諮問会議 |
2005年08月25日 | 仏国寺三重石塔に常時計測システム設置決定 |
2005年08月 | 補修対象である石塔の大気環境調査研究に着手 |
2005年09月~11月 | 感恩寺址西三重石塔の調査用足場と解体用の鋼構造物の設置 |
2005年12月03日 | 感恩寺址の現場変更案について文化遺産委員会の現地調査及び諮問 |
2006年01月 | 感恩寺址内の部材処理場及び仮設進入路設置 |
2006年02月 | 感恩寺址の臨時駐車場設置 |
2006年03月 | 感恩寺址探訪客のための進入路設置 |
2006年04月12日 | 感恩寺址西三重石塔の解体報告会の開催 |
2006年05月12日 | 感恩寺址西三重石塔の解体についての諮問会議 |
2006年06月 |
-感恩寺址西三重石塔報告書の配布
-感恩寺址西三重石塔の解体実施 |
2006年08月18日 | 感恩寺址西三重石塔の解体部材の保存処理についての諮問会議 |
2006年10月20日 | 刹柱(心柱)及び修理記保存案についての諮問会議 |
2006年11月16日~11月17日 | 石塔補修工事関係者を招いた懇談会開催 |
2006年12月 | 感恩寺址西三重石塔の3次元スキャン |
2007年03月 ~ 2007年08月 | 感恩寺址西三重石塔の構造安定性検討のための研究用役 |
2007年03月 | 感恩寺址の東・西三重石塔復元のための石材採石及び製作 |
2007年06月 ~ 09月 | 感恩寺址東三重石塔3Dスキャン |
2007年08月 ~ 12月 | 仏国寺多宝塔及び三重石塔3Dスキャン |
2007年09月 | 感恩寺址の東・西三重石塔の復元案について文化遺産委員会に報告 |
2008年02月 | 感恩寺址西三重石塔の復元 |
2008年05月~11月 | 感恩寺址の東三重石塔の保存処理、基壇甲石と塔区の設置 |
2008年10月 | 感恩寺址現場事務所の撤去 |
2008年11月 | 仏国寺多宝塔の仮設足場を設置 |
2008年12月 | 仏国寺多宝塔の修理着手報告会の開催 |
2008年12月 | 仏国寺三重石塔の常時計測機データ分析・研究用役 |
2009年01月~02月 | 仏国寺多宝塔の表面風化図面の作成 |
2009年03月 | 慶州石塔補修整備事業諮問会議の開催、文化遺産委員会に報告 |
2009年04月~06月 | 仏国寺多宝塔の欄干部と相輪部の解体 |
2009年07月 | 仏国寺多宝塔の身石製作用の石材研究用役 |
2009年08月~11月 | 解体部材の組み立て及び復元 |
2009年12月 | 仏国寺多宝塔修理完了についての報告会開催 |
2010年08月 | 事業完了 |
2010年12月 | 仏国寺三重石塔北東の上層基壇の甲石における亀裂を確認 |
2012年6月 | 慶州石造文化財補修整備事業団を創設 |
2012年2月 | 仏国寺三重石塔の亀裂の原因に関する調査・分析研究 |
2012年9月 | 仏国寺三重石塔の解体修理着手報告会 |
2013年4月 | 仏国寺三重石塔における舎利・舎利荘厳具の収拾 |
2013年7月 | 仏国寺三重石塔の基壇から金銅仏立像を発見 |
2014年1月 | 仏国寺三重石塔の解体を完了 |
皇龍寺復元の基本計画を樹立
皇龍寺址の全景
本学術大会は、遺跡の復元整備と関連し、国内外の学者および専門家が集まって公開討論する場である。これにより、皇龍寺復元事業の基盤を築き、皇龍寺復元の基本計画を樹立する根拠として活用したい。
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概要
皇龍寺に関する記事は「三国史記」・「三国遺事」にある。初期伽藍は新羅真興王の14年(553)、慶州月城の東に宮殿を建てる途中、黄龍が現れ、これを受けて宮殿建設を寺へと変更した。完成は真興王の30年(569)である。真興王の35年(574)には丈六尊像を鋳造し、真平王6年(584)にはこの仏像を安置する金堂が建てられた。善徳女王12年(643)には、慈蔵の勧めを受け、外敵侵入の防御を発願して九重木塔の建立が始まり、百済の工人阿非知により645年に完工した。皇龍寺は、93年間という長期間の国家事業により造成された大寺院であり、数回の修復と建て直しを経て高麗時代にまで存続した。ところが、高麗の高宗(コジョン)25年(1238)、蒙古軍の侵入により完全に焼失し、現在はその跡だけが残っている。荒涼とした広い場所の皇龍寺址は、1976年から8年間行われた発掘調査の結果、新羅時代におけるその壮大な規模が明らかになり、約4万点の出土遺物は新羅時代を研究する上で貴重な資料となっている。皇龍寺址は2000年12月、慶州歴史遺跡地区の一つとして世界文化遺産に登録された。
皇龍寺址は慶州観光総合開発計画の一環として、1971年から土地の購入と発掘調査、遺跡整備が始まった。遺跡整備では発掘の結果に基づいて各建物址に礎石を配置して盛土した後、芝生を敷いて遺構の保護措置を講じ、来訪者のための案内板や木造階段などを設置した。
慶州市は2005年、慶州歴史文化都市造成新都市事業の一環として推進中の「皇龍寺復元のための基本計画樹立」および「国際学術大会開催事業」を樹立し、国立文化財研究所に代行事業を依頼。これを受け、同研究所の皇龍寺復元事業団では、復元の妥当性検討と事業推進のための基本計画樹立を行い、2007年1月に事業を完了した。
推進経過
事業期間:2005年9月~2007年1月
事業実績(2006年2月現在)
- - 事業計画の樹立:2005年9月~10月
- - 着手報告会:2005年12月28日
- - 日本の復元事例現場調査:2006年2月6日~2月11日(奈良、京都、大阪地域)
- - 中国の復元事例現場調査:2006年8月28日~9月3日
- - 公聴会の開催:2006年12月14日
- - 基本計画報告書の発刊:2007年1月
- - 総合計画の樹立:2007年12月
- - 皇龍寺復元の基礎研究第1次~第4次:2007年8月~2011年3月
- 第1巻:「皇龍寺遺跡の建築学的考察」
- 第2巻:「復元整備技術の事例に関する基礎研究」
- 第3巻:「古代建物跡の平面および構造システムに関する調査研究」
- 第4巻:「皇龍寺研究の現状と課題」_2008年11月学術シンポジウム資料
- 第5巻:「皇龍寺金堂に関する基礎研究」
- 第6巻:「皇龍寺の基盤に関する研究」
- 第7巻:「皇龍寺の中心郭出土遺物」
- 第8巻:「皇龍寺復元・考証研究」
- 第9巻:「皇龍寺跡の遺構保存のための整備方法に関する研究」
- - 中国の事例調査:2008年10月
- - 日本の事例調査:2008年12月
- - 皇龍寺復元学術シンポジウム:2008年11月
- - 復元基礎研究ワークショップ:2009年11月
- - 復元基礎研究結果発表:2010年4月
- - 中国現地調査:2010年11月
- - 復元基礎研究フォーラム:2012年2月
- - 皇龍寺復元整備総合計画の樹立:2011年4月~2012年6月
- 第10巻:「皇龍寺復元整備総合計画」
- 第11巻:「皇龍寺復元・考証に関する基礎研究」
皇龍寺復元国際学術大会
国内外の学者や専門家が集まって、遺跡の保存、復元の意義、復元の際に生じうる様々な問題について公開討論することによって、皇龍寺復元の妥当性を検討し、復元事業を推進する基盤を築いていく。
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概要
国内外の学者や専門家が集まって、遺跡の保存、復元の意義、復元の際に生じうる様々な問題について学術的・実際的根拠に基づいて討論することによって、復元の際に生じうる様々な問題と原則を再検討した。また、本学術大会の討論結果に基づき、共同「提案」を採択・発表した。
- 大会日程:2006年4月28日~4月29日(2日間)
- 大会場所:慶州普門団地ヒルトンホテル・グランドボールルーム
参加者
国内外の学者や専門家が集まって、遺跡の保存、復元の意義、復元の際に生じうる様々な問題について公開討論することによって、皇龍寺復元の妥当性を検討し、復元事業を推進する基盤を築いていく。
- 発表・討論者:国内外の伝統建築および文化遺産の専門家、関連学問の専門家
- 外国からの招聘者:イタリア、イギリス、中国、日本など4ヶ国以上の文化遺産専 門家を招聘
- 参観:この問題に関心を持つ一般の人
公式言語
- 公式使用言語:韓国語、英語
- 会議の際、非英語圏の招聘者のために同時通訳で進行(4ヶ国)
大会のテーマ
- PARTⅠ:『遺跡復元の意義』
- PARTⅡ:『遺跡の保存と復元、活用の事例』
- PARTⅢ:『皇龍寺復元の妥当性の検討』
- PARTⅣ:『皇龍寺復元の諸般の問題とその検討』
共同提案(SUGGESTIONS)
皇龍寺は553年に創建され、645年に完工した寺院であり、新羅仏教文化の真髄を示す重要な文化遺産である。2006年4月28日から29日まで慶州で開催された皇龍寺復元国際学術大会において発表者と討論者は以下のような結論を導き出した。
一.価値と意味(Value and Meaning)
皇龍寺の復元は歴史、教育、観光の側面から検討する価値があり、慶州市民として、さらに韓国の国民としての矜持を保たせること以上の意味を持つ。
二.復元の方向(Direction of the Reconstruction Plan)
皇龍寺の復元は文化遺産としての固有の価値が尊重される方向で行われなければならない。
三.研究の必要性(Necessity of Research)
皇龍寺の復元の前に、様々な方面で十分な研究成果が蓄積されなければならない。
四.復元の方法(Methodology of the Reconstruction)
皇龍寺の復元は保存に関する国際基準を守ると同時に、慶州の歴史文化の特性に合わせ、慎重に進められなければならない。
五.意見収斂(Consensus)
皇龍寺の復元するにあたって、関連学者と専門家を含め、地域住民と市民団体の意見を幅広く検討しなければならない。
皇龍寺復元整備研究
本事業は、慶州歴史都市造成事業の中核を担う皇龍寺復元を進めるため、皇龍寺復元整備総合計画を樹立することを目的としている。皇龍寺復元整備総合計画の樹立は、古代建築の復元のための諸般の研究に基づいて方法を提示し、復元事業を合理的でかつ妥当なやり方で推進すると同時に、国民の共感を得る必要がある。このような研究を掘り下げることにより、多くの研究成果が得られるであろう。今まで皇龍寺の考証のための復元基礎研究と歴史・考古・美術・仏教・図示・造園・古建築などの分野別の基盤研究を推進し、皇龍寺研究叢書1〜9巻を発刊した。本事業は2012年3月まで皇龍寺復元総合計画樹立を目標に進められている。
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研究成果
皇龍寺研究叢書1 - 皇龍寺遺跡の建築学的考察
皇龍寺研究叢書2222 - 復元整備技術事例の基礎研究
皇龍寺研究叢書3 - 古代建物址の平面および構造システムの調査研究
皇龍寺研究叢書4 - 皇龍寺研究の現状と課題
皇龍寺研究叢書5 - 皇龍寺・金銅の基礎研究
皇龍寺研究叢書6 - 皇龍寺復元の基盤研究
皇龍寺研究叢書7 - 皇龍寺中心地の出土遺物
皇龍寺研究叢書8 - 皇龍寺復元の考証研究
皇龍寺研究叢書9 - 皇龍寺址遺構保存のための整備方法研究
定林寺址整備事業基本計画の樹立
定林寺址(史蹟)は、扶余の中心にある百済泗沘時代の寺院遺跡である。この場所は660年ごろ唐将の蘇定方により消失し、朝鮮時代まで「平済塔」または「蘇定方塔」の残る百済の古跡として知られていた。1917年(大正6年)に「大平八年戊辰定林寺大蔵唐草」という銘の入った瓦が発見され、高麗時代には「定林寺」という名の寺であったことが明らかになり、以後「定林寺址」と命名された。寺址の南北中心線上には、定林寺址五重石塔(国宝)が建てられており、講堂址には高麗時代の石仏座像(宝物)が残されている。
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概要
定林寺址は、日本の植民地時代に日本の学者によってはじめて発掘調査が行われ、百済塔公園として造成された。その後、1979~1980年にかけ、忠南大学校博物館による発掘調査が行われ、寺址の全貌が明らかになった。それ以来、発掘調査の結果に基づき、建物址に土を覆って整備され、講堂址には石仏の覆い屋が建てられた。最近では寺址の東側に定林寺址博物館が建てられ、遺跡情報および観覧の資料を提供している。定林寺址整備事業は歴史文化資源の復元整備事業の一環として始められ、2005年10月から国立文化財研究所・定林寺址復元整備事業団が基本計画を進め、2006年12月に完了した。
計画の目的
- 百済建築文化の再現
- 効果的な整備により観覧環境を改善
計画方向
- 遺跡の観覧環境を改善するための効果的な整備方法
- 定林寺址復元整備事業推進に対する社会的・経済的妥当性を調査
基本計画
- 領域の再設定:定林寺址領域(復元整備)と博物館領域の再設定、特性化。定林寺 址と従来の博物館の間の空間を活用する計画。
- 瓦窯跡の整備:百済の瓦窯跡を整備した後、覆い屋を設置
- 扶余住民のための空間計画:休憩および様々な記念イベント空間を確保
- 利便施設の改善:観覧案内システムの補完および休憩施設(案内センター)の設置
- 造園施設の改善:各領域別舗装計画および造園施設の計画
感恩寺址総合整備基本計画
統一新羅時代の護国寺院として経営された感恩寺(史跡)には、現在も東・西三重石塔が保存されており、建物址の礎石や基壇などの遺構の保存状態が良好である。感恩寺址は1959年(国立博物館)と1979年〜1980年(文化財研究所)など2回の発掘調査が行われ、1961年と1997年にそれぞれ第1、第2次発掘調査報告書が発刊された。感恩寺址は廃寺跡ではあるが、過去に埋もれたものではなく、現在も来訪者と触れ合うことのできる遺跡として整備されなければならない。また、文武王の護国の意志が伝わる東海・文武(ムンム)大王陵(史跡)と隣接しているため、地域住民のみならず、国民を対象に護国の意志を高めるプログラムとして連携し、活用する価値がある。本事業は2006年12月、慶州市の感恩寺址総合整備基本計画樹立代行事業の依頼を受け、国立文化財研究所・感恩寺址復元整備事業団が2007年12月に基本計画の樹立を完成した。
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概要
感恩寺は統一新羅時代の独特な技術により造営された寺院である。このような歴史性を考慮し、整備にも伝統的な材料を用い、当時の表現技法を保存・再現することにより、来訪者が遺跡についてより深く理解できるように計画を立てる。また、感恩寺址を含む地域全体の歴史と文化が学べるよう、情報共有と体験の場を設け、ダイナミックな歴史教育の場として活用できるよう計画する。
計画の目的
- 効果的な整備により観覧環境を改善する
- 新羅時代の建築文化を再現し、歴史文化を継承する場として活用
計画の方向
- 遺跡の保存と活用の原則を遵守
- 遺構の原型を最大限復元
- 遺構は還元できる整備方法で計画
計画の内容
- 遺跡復元整備方法計画
- 感恩寺址およびサービス空間の領域を再調整
- 情報センターおよび販売施設を建設することにより観覧の利便性を高める。
- 周辺の民家、商業施設を撤去し、周辺の景観を改善
- 周辺の未発掘地の発掘調査計画
- 文化遺産保護区域の拡大計画
- 感恩寺址周辺の休憩・緑地空間の造成
- 事業推進計画の樹立
研究成果
1992 | 鳳停寺・極楽殿修理工事報告書 |
---|---|
1998 | 法住寺・捌相殿修理工事報告書 |
弥勒寺址・石塔調査研究報告書 1,2,3 | |
2004 | 感恩寺址・西三重石塔 |
2006 | 皇龍寺復元整備基本計画報告書 |
2006 | 皇龍寺復元国際学術シンポジウム資料集 |
2006 | 定林寺址整備基本計画報告書 |
2009 | 「新羅の感恩寺と三重石塔」シンポジウム資料集 |
2010 | 感恩寺址・西三重石塔修理報告書 |
2010 | 感恩寺址・東三重石塔補修整備報告書 |
2010 | 弥勒寺復元のための研究・学術資料叢書Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ |
2011 | 弥勒寺址石塔の解体調査報告書Ⅳ |
2011 | 弥勒寺址石塔補修整備(国際フォーラム資料集) |
2011 | 仏国寺多宝塔修理報告書 |
2012 | 弥勒寺址石塔基壇部発掘調査報告書 |
2013 | 弥勒寺址石塔舎利荘厳図録 |
2013 | 皇龍寺石垣復元整備基本計画 |
2013 | 皇龍寺復元第1次深化研究(皇龍寺研究請書11) |