発掘調査

重要な先史・歴史遺跡に関する企画と学術調査を行っており、国が保護している史跡の整備・復元のための調査、史跡指定のための事前調査なども担当している。また、開発や盗掘による損傷、滅失の恐れのある遺跡、地域住民による苦情の余地のある緊急事案の遺跡も調査している。

新羅王京遺跡の発掘調査

遺跡名 雁鴨池の東方の新羅王京
調査年 2007年 ~

調査内容

「東宮と月池」の東方の新羅王京遺跡は、国立慶州文化財研究所が2007年10月から現在までも発掘調査を行っている。調査対象は整備された「東宮と月池」(史跡、臨海殿址)の東であり、行政区域としては慶州市仁旺洞22番地など約40筆地に当たる。

この地域では月城、皇龍寺址、芬皇寺と九黄洞苑池、殿廊址などの宮殿、国家寺院と関連した遺跡が密集した王京の中心に含まれる。特に調査地域の西に隣接した「東宮と月池」は、臨海殿の属した統一新羅時代の東宮の一部として知られている。

今まで、東宮の規模と範圍を確認し、王京中心部の都市構造を究明するために発掘調査が実施されてきた。その結果、遺跡からは雁鴨池と関連すると見られる建物跡、庭園施設、石垣跡(推定)などが確認された。したがって、東宮の領域は現在整備された「東宮と月池」の領域からさらに東と北へと伸びた範囲に達していたものと考えられる。

また、調査地域で最も早い時代と見られる道路遺構は、皇龍寺址の東(S1E1地区)の王京遺跡で確認された1つの坊(王京は160m×140mを一つの「坊」とする囲碁盤のように都市計画が行われていた)であり南を区画する東西道路の延長線上で確認された。これらは計画都市である新羅王京の構造を明らかにする上で重要な史料と考える。


写真資料

image 調査地域の全景(北東-南西)
image 第1号建物址調査後の全景
image 第1号石垣址と門址

月城の堀の発掘調査

遺跡名 月城の堀
調査年 1984年 ~

調査内容

月城の堀の発掘調査は1984年から毎年実施されている。発掘調査の結果、外部からの侵略が多かった三国時代には城壁の基底部に沿って不定形の堀が設けられ、防御に利用されたことが分かった。三国が統一されてからは外部の侵略の恐れが消え、堀は埋 められ、その上に大掛かりな建物が建てられ、狭かった宮殿を補ったということが 浮かび上がってきた。

月城の堀の発掘調査では1999年から石氷庫の北側、城壁の北に位置する石築の堀を調査している。調査の結果、石氷庫の北側および北東に堀が2基が存在したことが 確認された。これらは各第4号と第5号堀と命名された。

1999年から2006年まで調査された第4号堀は長方形の平面となっており、川石によって最初の堀が築かれた後、2回にわたって改築されたことが分かった。

最初の堀の築石から6〜8mほど内側に第2次、第3次の築石が積まれており、時代と共に堀の幅が小さくなっている。また、築石を構成している石材も、川の自然石→人工的に整形された石→川の自然石の順になっている。三国統一以前と以後 では、敵からの防御という機能から宮殿を装飾する機能へと変化したが、最後には堀が装飾の機能さえも果たさなくなったことを示している。

遺物は土器類、瓦類、鉄器(鉄斧)、漆器、動物の骨、貝殻類などが出土した。

2006年に調査が終了した第4号堀の復元・整備事業が現在行われており、また第5号堀の発掘調査も進められている。現在、第5号堀の全体の輪郭や第4号堀、東区域との関連性を明らかにすることを中心に調査している。

現在は第4号堀と第5号堀に対する復元・整備が完了し、月浄橋の北側と鶏林南側一帯の月城堀発掘調査が行われている。1984年~1985年の試掘調査の時、堀の石列の一部と統一新羅時代の建物址が確認された。


写真資料

image 月城の全景
image 月城第4号堀の全景(航空撮影)
image 月城第4号堀の入水口 (4号堀の左側)
image 月城第4号堀出土の漆器
image 月城第5号堀の全景

チョクセム遺跡

遺跡名 チョクセム遺跡
調査年 2007年 ~

調査内容

チョクセム地区の新羅古墳遺跡は慶州の大陵苑一帯(史跡)に指定された慶州市・皇南洞、皇吾洞、仁旺洞一帯の545,000㎡(約165,000坪)の中央に当たる場所であり、2007年3月20日の告由祭(重大事について天に告げる祭祀)を皮切りに発掘調査が行われている。

慶州・皇吾洞一帯は韓国の最大規模の新羅古墳群であり、1973年の天馬塚調査、1975年の皇南大塚の発掘に基づき、その一帯の新羅時代古墳に対する部分的な復元・整備が行われ、大陵苑をはじめとする周辺の路東洞・路西洞一帯を古墳公園として造成することになった。しかし、皇吾洞チョクセム地区は体系的な学術・発掘調査が行われていない状態で慶州市の旧都心を形成しているので、部分的に文化遺跡が破壊されている。さらに、新羅古墳研究でも、鶏林路古墳群と月城路古墳群、協成ガソリンスタンドの敷地、皇吾洞100番地遺跡調査で見るように、小規模の発掘調査と埋蔵遺産出土届けに頼っている。今回の調査は、従来の救済発掘ではなく、最初から学術的目的で始まっており、したがって新羅古墳の出現、発展、墓制の変化のような、新羅古墳研究が全般的に活発になると期待している。


写真資料

image チョクセム地区の全景
image C10号木槨墓の全景
image F地区の全景
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