発掘調査

中原地域の古代文化に対する学術調査研究

遺跡名 忠州· 塔坪里遺跡(中原京推定地)
区分 遺跡発掘調査
調査期間 2008年~

内容

忠州· 塔坪里遺跡は三国の古代都市が百済⇒高句麗⇒新羅の順に建設されたことが確認でき、中原文化の中心地であった中原京と推定される場所である。
2008年から中原文化の実態を究明するため、学術調査を毎年実施しており、調査の結果塔坪里一帯からは百済· 漢城期から新羅時代まで、長年の間造られた住居跡、建物址、井戸などの生活施設と鉄の塊、スラッグ、水路遺構などの生産施設と関連した遺構約100基が確認された。出土遺物は、三足器、壷、甕、甑、高杯などの土器類を中心に鉄の斧、金槌、刀子、「U字型」鋤の刃、鎌などの鉄器類が供伴していることが確認できた。とくに、鋏、金槌、送風管、鉄の塊、スラッグなどは製鉄と関連した遺物であり、塔坪里一帯が鉄の生産が活発に行われていたことが推測できる。
出土遺物の中心的な年代は百済· 漢城期の4世紀から統一新羅時代の8世紀までと考えられており、中原地域の古代都市の実態を解き明かす上で重要な遺跡として注目を集めている。


写真資料

image 調査地域および周辺遺跡の分布状況
image 塔坪里全景の航空写真
image 2011年塔坪里遺跡と600m水路遺構の全景
image 2011年度発掘調査の全景
image 百済第1号住居跡
image 高句麗のオンドル施設
image 新羅第4号住居跡
image 新羅の井戸
image 塔坪里出土遺物
image 地下物理探査の様子
image 作業の様子

重要文化圏の主要古墳群に関する学術研究

遺跡名 忠州· 楼岩里古墳群(史跡第463号)· 下九岩里古墳群
区分 遺跡発掘調査
調査期間 2008年~2010年

内容

中原地域に分布する主要古墳群の学術調査により、中原文化圏の古墳文化の特性お よび変遷過程に関する研究ならびに体系的な保存· 管理のための基礎学術資料を確 保するため、精密地表調査と発掘調査を実施した。

楼岩里古墳群(史跡第463号)と下九岩里古墳群は6世紀中頃の中原地域に進出し、 国原小京(後に中原京として改編)を経営した新羅系支配階層の集団墓として知ら れている。2008~2010年にわたって楼岩里と近くの下九岩里の15区域に分布してい る約700基の古墳の実態調査およびGPS測量を行い、そのうち、区域別に8基の代表 的な古墳に対する発掘調査を実施した。

発掘調査の結果、新羅時代の橫穴式石室墳7基と橫口式石槨墓2基が確認され たが、橫穴式石室墳はすべて南に羨道のある地上式の橫穴式石室墳であり、墳墓の 流失を防ぐため、墳墓の上段には溝が、下段には1~4段の護石が設置されて いる。石室には追加葬のための3~4の屍床が設けられ、墳墓内部からは割石の敷 かれた埋納遺構(楼岩里イ-45号墳)が発見された。

今まで出土した遺物は蓋、短脚高杯、台付短頚壷などの土器が主流であり、金銅製 耳飾、銀製腰帯装飾、玉などが出土した。出土遺物と古墳の築造方法から見て6世 紀中期以降、中原地域へ進出した新羅の文化像を示す遺跡という評価を得ている。


写真資料

image 楼岩里古墳群地表調査の様子
image イ-50号地表調査の様子
image 楼岩里古墳群のGPS座標点を確保
image 楼岩里古墳群の精密測量の様子
image 2009年下九岩里古墳群の航空写真
image 2009年下九岩里古墳群第25号墳調査後の様子
image 2009年下九岩里古墳群出土遺物
image 2010年忠州· 楼岩里古墳群と南漢江
image 2010年忠州· 楼岩里古墳群体験学習の様子
image 実測調査の様子
image 遺構内部調査の様子
image 現場説明会の様子

江陵· 掘山寺址学術調査研究

遺跡名 江陵· 掘山寺址(史跡第448号)
区分 遺跡発掘調査
調査期間 2010年~2011年

内容

江陵市· 邱井面· 鶴山里一帯に位置する江陵· 掘山寺址は、江陵端午祭の主神とし て祀られている梵日国師が新羅 · 文聖(ムンソン)王13年(851)に創建した九山 禅門の一つである闍崛山門の本山である。掘山山門は高麗時代の全期間が最隆盛期 であるが、廃寺以降建て直されることなく今日に至っている。しかし、統一新羅時 代の石造工芸の極限美を体現している浮屠塔(宝物第85号)と韓国最大の幢竿支柱 (宝物第86号)は、過去の栄光を今に伝えている。

掘山寺址は1999年の浮屠塔の解体· 復元をはじめとし、断続的に調査が行われてき たが、寺域全体にわたる体系的な学術調査は行われず、2002年の台風15号が寺域の 中心部を通過したため水害が激しく、その被害地域に対する緊急収拾調査(2002 〜2004)が行われたが、一方、その学術的重要性が認められて2003年6月、史跡第 448号に指定された。

しかし、史跡指定以降も掘山寺址に対する体系的な学術調査はなかなか先に進ま ず、遺跡の整備も遅々として行われなかったので、国立中原文化財研究所では 2010年より掘山寺址の総合的な考察および整備· 復元事業を企画し、2010〜2011年 にわたって試掘調査を行った。調査は掘山寺址の寺域の範囲および残存遺構の分布 範囲を把握するのに重点を置いた。その結果、寺域は北側の築石施設、西側の鶴 山、東と南は石垣跡であり、面積は約31,500㎡と推定された。遺構の分布様子は推 定金堂址と講堂址の他に、周辺の各種付属建物址、石垣跡、推定蓮池、歩道施設な ど様々な遺構が存在していることが確認された。一方、「五台山金剛社」銘の瓦が 見つかったことでも注目を集めた。「五台山金剛社」は国家の安寧のため、五台山 の東西南北と中央の5つの寺院に結成されたといわれる信仰結社であるが、今まで は文献にのみ伝わっていたが、今回の掘山寺址からは考古学的遺物としてはじめて 確認された。

掘山寺址に対する2年間の試掘調査は、今後の精密発掘調査の方向性を示したとい う点で大きな意味があり、方形礎石の建物址の下からは今まで確認されていなかっ た創建の際の遺構が発見される可能性を示唆している。


画像を見る

image 掘山寺址の全景
image 掘山寺址石造浮屠(宝物第85号)
image 掘山寺址幢竿支柱(宝物第86号)
image 掘山寺址石造仏像(江原道文化財資料第38号)
image 掘山寺址推定法堂址
image 掘山寺址推定講堂址
image 掘山寺址石垣跡
image 掘山寺址蓮池

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